名古屋の朝は、思っていたより静かだった。
カーテン越しの光は柔らかく、車の音も遠い。
昨夜までの雑踏が嘘のように感じられる。
ホテルの部屋で身支度をしながら、西島は自然と昨日のことを思い返していた。
後藤田。
ポケットから名刺を取り出し、もう一度目でなぞる。
――ネクサス工建。
頭の中で仕事の情報と昨日の会話が重なっていく。
後藤田は桐生と同僚なのだろうか。
俺のことは聞いているのだろうか。
名刺を出さなかったことが今になって少しだけ重く感じる。
意識して隠したわけじゃない。その場で判断したわけでもない。
ただ、「今は違う」そんな感覚が指を止めただけだ。
だが、なぜ違うと感じたかを言葉にしようとすると途端に曖昧になる。
後藤田は普通だった。
話し方も距離感も態度も。
むしろ、業界では珍しいくらい感じのいい人間だった。
だからこそこの引っかかりが消えない。
洗面台で顔を洗い、タオルで水気を拭き取る。
スマートフォンが軽く震えた。
画面を見る。
後藤田からのDMだった。
「同業界ですので困ったことがあれば助け合いましょう!」
短い文章。丁寧で悪意の欠片もない。
業界ではよくあるやり取りだ。
むしろ健全ですらある。
それなのに。西島はすぐに返信できなかった。
“助け合いましょう”
その言葉が少しだけ早すぎる気がした。
まだ、何も始まっていない。
まだ、何も困っていない。
それなのにもう「助け合い」が前提に置かれている。
考えすぎだ
自分に言い聞かせる。
気にするほどのことじゃない。
それでも胸の奥に残るざらつきは消えない。
名刺を戻す。
スマートフォンの画面を伏せる。
「……まあ、いいか」
誰に言うでもなく、そう呟く。
福岡案件も工程表どおり進んでいる。
現場も、
図面も、
数字も、
何一つ問題はない。
だからこの違和感はきっと気のせいだ。
そう結論づけて西島は荷物をまとめた。




